筆者はこのたび、東日本大震災の被災地の一つ、宮城県石巻市において、日和(ひより)幼稚園遺族有志の会の語り部として活動されている、佐藤美香さん(以下、佐藤さん)のお話をうかがってきました。
佐藤さんの長女、愛梨ちゃん(当時6歳)は、本来ならのるはずのないバスに乗せられました。その結果、津波に巻き込まれ、その後の火災により車内で亡くなったのです。
今回は、佐藤さんのお話をもとに、国土地理院の地図をつかって確認しながら「津波からの避難に大切なこと」「避難に備えて今すぐできる3つのこと」をお伝えします。
津波からの避難で大切なこと 1.より早く“高台”へ
愛梨ちゃんは石巻市内の私立幼稚園(日和幼稚園)に送迎バスを利用して通っていました。
愛梨ちゃんのご自宅は内陸にあるため、本来なら海側ルートのバスにはのりません。ですが、幼稚園では震災がおきる前から、内陸ルートの子どもたちを海側ルートのバスに一緒にのせていたのです。
そして、あの日も“保護者には知らされていない。だけど、幼稚園にとってはいつも通り”の送迎方法で、愛梨ちゃんたちはバスにのせられたのです。
高台にある幼稚園のバスは海側へとむかった
佐藤さん|幼稚園は高台にあるので、そこにいてさえくれれば、娘たちの命が失われることはなかったでしょう。ですが、幼稚園は子どもたちを“帰すため”、バスを出発させました。バスを出発させるという判断は間違っていたのです。
大きな地震が発生したら「命を守る行動」として高台へ避難。
このことを、一人ひとりがしっかりと頭に入れ、いざという時に正しい判断のもと、避難行動へとつなげていかなければなりません。
高台に避難できる場所にいたがバスは再び出発
佐藤さん|バスは途中、門脇(かどのわき)小学校に立ち寄っています。小学校のすぐ近くには、幼稚園のある高台につづく階段があります。幼稚園から小学校へ到着していた先生方もいたのですが、娘たちが高台に避難させられることはありませんでした。
その後、バスは幼稚園へ戻るようにとの指示をうけ、娘たちをのせたまま、再び海側へとむかいました。歩いて高台に行ける場所にいたのだから、バスではなく、徒歩で高台に避難させてほしかったです。
高台につづく階段は、小学生たちの通学路にもなっていたほど身近な存在だったと言います。また、道路は避難しようとする車で渋滞し、思うようにすすめない状況でもありました。
車での避難は、リスクを考えると原則避けた方がよいと言われています。ですが、地域の地形・体に不自由があるなど、車を使わないと避難できない場合もあります。車で避難せざるを得ない人は誰か、どのルートを通るかなど、避難訓練などで事前にシュミレーションしておくことも大切でしょう。
津波からの避難で大切なこと 2.高台へ逃げたらもう戻らない
東日本大震災では、一度高台へ避難したものの、知人を助けに行ったり防寒具を取りに行くなど、低い方へ戻ったことで津波にのまれてしまった方もいます。
佐藤さん|ある高校生は高台に避難しましたが、アルバイト先に食料を調達するために戻り、津波の犠牲になってしまいました。高校生のご両親は「なぜ引き留めなかったのか」と後悔の念にかられています。
「津波てんでんこ」という言葉があります。「津波のときは他の人のことは気にせず、それぞれに逃げろ」という意味であり、自助の精神を伝えています。ともすると、自分勝手な考えともとらえられるかもしれません。ですが、この言葉には自助の精神だけでなく「生存者の自責感の軽減」という意味もあるのです。
誰もが大切な人の安否は心配であり、避難後の生活についても不安になるでしょう。ですが、まずは命を守ることを第一に考え「高台に避難したら戻らない」。そうできるためにも、ふだんから家族で避難先を確認しあうなど、災害への備えをしておきましょう。
津波からの避難に備えチェックしておきたい3つのこと
ここからは、佐藤さんのお話を、国土地理院地図をつかって確認しながら、津波からの避難に備え今すぐできることをお伝えします。(地図の機能や操作方法などはこちらから確認できます)
お伝えするのは、次の3点。
➀津波の浸水予想範囲(ハザードマップ)を確認する
➁海からの距離を知っておく
③標高を確認しておく
はじめに、日和幼稚園と旧門脇小学校の位置関係を確認してから、各項目について解説します。
日和幼稚園と旧門脇小学校の位置関係
赤い丸(赤矢印)が日和幼稚園、青い丸(青矢印)が旧門脇小学校のおおよその場所です。
旧門脇小学校から日和幼稚園までは、徒歩5分ほどの距離でした。
➀津波の浸水予想範囲(ハザードマップ)を確認する
津波からの避難にそなえて今すぐできることの一つ目は、「津波ハザードマップを確認すること」です。
さきほどの地図に、東日本大震災における津波浸水範囲を示すと、次のようになりました。
青い丸の旧門脇小学校は浸水範囲に入っていますが、赤い丸の日和幼稚園は入っていません。
東日本大震災ではハザードマップの浸水想定区域外にも津波が押し寄せた地域もありましたが、震災後に防災マップなどの見直しが進んだ側面がありました。その地域にあるリスクを知るツールとして、まずはハザードマップを確認しましょう。
国土交通省が運営する『わがまちハザードマップ』では、市町村の各ハザードマップを確認することができます。(公開しているハザードマップの種類は、自治体によって異なります)
探し方は、左上の「地図から」または「災害種別から」を選択してすすめます。また、右上にある「地域選択」から選ぶこともできます。ご自宅や職場はもちろん、旅行先など初めて訪れる場所のハザードマップを確認しておくのもよいですね。
そして、内閣府「特集 東日本大震災」には、国土地理院の浸水範囲概況図から『仙台平野等では海岸線から約5km内陸まで浸水していることが確認できる』との記載があります。
「海からの距離」。この点についても、佐藤さんは大切な視点をお話してくれました。
➁海からの距離を知っておく
佐藤さん|私は県外から石巻市に引っ越してきたとき「海が近い所だな」と感じました。スマトラ島沖地震(※)の津波のイメージがあったので「地震のときは怖いな」と感じたことを覚えています。
(※)スマトラ島沖地震:2004年インドネシア共和国のスマトラ島北西沖にて、マグニチュード9.0の地震が発生。10mに達する津波が『数回発生』し、他国にも30mを超える巨大津波が襲った。(参考元:国土交通省「スマトラ島沖地震」)
佐藤さんが「海が近い」と感じた場所であっても、建ち並ぶ住宅地のなかでは、それほど近いとは感じられなかった住民の方もいたと言います。
そのため、自宅などの場所が「海からどれくらいの所にあるか」その距離感を知っておくことが大切です。
国土地理院の地図では海からの距離も調べることができます。
ここでは、海岸線から旧門脇小学校までの距離を示してみます。
画面の右上「ツール」を開くと上から2番目に「計測」があります。操作方法にしたがってすすめると、下図のように計測箇所が赤線で示され(オレンジの矢印部分)、距離が表示されます。
住宅や高い建物に囲まれていると、たとえ海から近い場所であっても、それを感じにくくなってしまうことがあります。
このようなツールをつかい、一度チェックしておくことをおすすめします。
③標高を確認しておく
海からの距離と合わせて確認しておきたいのが「標高(※)」です。
(※)標高:国土地理院(測量法)では東京湾の平均海面を0mの基準面とし、基準面からの高さを標高とよんでいます。近隣の海面からの高さは海抜とよびます。(国土地理院「標高と海抜と水準点」より)
国土地理院によると、東日本大震災における石巻市から福島県南相馬市における津波浸水区域は「標高2~4mが多い」とされています(参考元:国土交通省国土地理院「津波による浸水状況ー平成23年東北地方太平洋沖地震ー」20頁)
国土地理院の地図では、標高を調べたい場所に(+)記号を合わせるだけで、自動で標高が表示されるようになっています。左下に矢印で示しているのが「標高」です。
上の地図では旧門脇小学校の標高を調べたため、青丸のなかに(+)の記号が表示されており、標高は「3.6m」となっています。
一方、日和幼稚園の標高は次のとおりです。
すると、日和幼稚園の標高は「23.5m」となっており、旧門脇小学校との標高差は約20mです。
この地図からも、いかに日和幼稚園が高台にあったのかがわかります。
慰霊碑が伝えていること
日和幼稚園遺族有志の会では、被災現場の近くに慰霊碑を建てました。この慰霊碑は、愛梨ちゃんたちが生きた証であるとともに、もう一つの意味があると言います。
佐藤さん|この慰霊碑は「津波のときは、ここよりも向こう(高台)側に逃げて」ということを伝えているものでもあります。
津波からの避難では、ほんの数メートルの差でも大きな違いになります。
ふだん標高を意識することはあまりないかもしれません。ですが、同じ地域内でも“ここ”は低い、ということもあるため、一度身近な場所の標高を調べてみましょう。
災害とともに生きる社会に生かしてもらいたい
「なぜ階段を上らなかったのだろう」。その疑問は、いまもずっと、ご遺族のなかにあると言います。
佐藤さん|娘のことを思い出さない日はありません。ですが、これからは災害とともに生きていかなければならない時代になると感じています。わたしたちが経験したことを少しでも生かしてもらえたら、そう思って活動しています。
「せめて、これからに生かしてほしい」
その想いから、佐藤さんは大切な愛梨ちゃんの被災物をMEET門脇に展示し、おとずれた方々に見てもらっています。
佐藤さん|わたしは中学生のとき修学旅行で広島原爆記念館に行きました。そこで見たことは今でも心のなかに残っています。そんなふうに、娘の遺品から少しでも何か感じてもらえればと思い、展示しています。
日和幼稚園遺族有志の会ホームページには「あの日のこと」が写真とともに記され、また、オンラインによる講演もおこなっています。
筆者が現地で感じたことの一つに、避難の鉄則を「いかに(自分・家族ごととして)実感できるか」が、災害から命を守るために必要なのではないか、ということでした。
本記事が、少しでもそのお役に立ち、佐藤さんをはじめご遺族の想いが伝わることを心から願っています。
(以上)