次男とともにコロナにかかり、およそ10日間の自宅療養生活に加え、濃厚接触者である長男・夫の待期期間を加えた2週間弱を自宅で過ごした私たち家族。
2回にわたり陽性者の隔離期間や支給される物資の内容などをご紹介してきましたが、最終回となる今回は、引きこもり生活で感じた苦労などをお話させていただきます!
コロナ陽性、家族で隔離生活を送ることに
子どもたちの通う保育園、幼稚園でコロナ陽性者が出たことから、子どもたちがPCR検査対象に。次男が陽性との診断を受け筆者と夫、別居の実母も検査を受けることになったところ、筆者も陽性であることが発覚しました。
こうして子どもたちの検査2日前から、およそ2週間の隔離生活が始まりました。
筆者と次男の具体的な症状
陽性とはいえ、筆者と次男の症状はいたって軽いものでした。まず、次男は目立った症状が何もない「無症状」でした。発熱もありませんでしたし、本人に聞いても不調を訴えることはありませんでした。
筆者はというと、実は検査を受ける1週間ほど前、目の奥がズキズキと傷むような頭痛に悩まされていました。しかし年に数回副鼻腔炎になり、その症状と似ていたこと、市販の蓄膿の薬を飲むことで症状が和らいだことから「いつものやつだなぁ」と勝手に判断してしまいました。
慢性的な頭痛が収まった後はくしゃみと軽い咳、鼻水が出たことから「今年も花粉症の季節が来たなぁ」などと思っていました。しかし思い返すとこれらはすべてコロナの症状で、なんとなく身体がだるいような感じも、コロナによる倦怠感だったのだと思います。
これは後日、友人から「オミクロンは頭痛から入る人が多いらしい」という情報をもらいわかったことです。花粉症の時期でもあるため、私のように症状の軽いかたは頭痛やくしゃみ、鼻水などがあってもコロナだとは思わないかもしれませんが、もしいつもの花粉症と少しでも違うような感じがしたら、コロナを疑ったほうがよいかもしれません。
隔離生活での苦労
検査2日前から自宅待機をしていた我が家ですが、誰にも目立った症状がなかったため「検査結果がわかったら遊びに行こうね」などと話していました。結果、陽性ということがわかりそこから2週間の引きこもり生活を送ることになりましたが、そのなかで感じた苦労は大きく3つです。
家事の量が増える
まずは家事の量が増えることです。家族4人が1日中家にいるので、どうしても家のなかが散らかってしまいますし、ゴミも多く出ます。片付けをしたりゴミをまとめたりするのには、なかなか時間を費やしました。
また、食事も私以外の3人は3食しっかりと食べるタイプなので、朝・昼・夜と毎食準備をして片付けをするのも大変でした。隔離期間中の前半は、なるべく子どもたちと接触しないほうがよいということで、夫がすべての食事の準備や洗い物をしてくれていました。
普段から料理はしてくれるものの、洗い物は9割がた私の仕事だったため、夫はとても苦労したようです。通常の生活に戻ってから「洗い物のコツがわかった」と話していたので、負担をかけてしまったことは申し訳ないと思いつつも、家事スキルがまた1つ上がったのだと嬉しくも思いました(笑)。
子ども同士を離すことができない
次男は陽性でしたが長男は陰性だったので、できれば2人を隔離して生活させるのが望ましいといわれていました。しかし、長時間自宅のなかで過ごすのはただでさえ退屈なのに、遊び相手がいないと2人ともつまらないようで、離れて生活をさせるという計画は結果的に失敗に終わりました。
家のなかでマスクをつけるように指示していましたが、じゃれ合って遊んでいると取れてしまうこともあり、マスクもあまり意味がなかったように思います。
次男の療養期間終了から1週間、隔離が明けてからもさらに2,3日は自宅にいたので外部の方にうつしてしまう心配は限りなくゼロに近い状態になってから外出をしましたが、できれば陽性者と陰性者は離れて生活させたかったなと反省しています。
外出できないストレスが溜まる
外出ができないことで、当然ですが子どもたちはとてもストレスがたまったようです。家のなかで追いかけっこをしたり、押入れからふとんの山に飛び降りたりと毎日身体は動かしていましたが、やはり日の光を浴びたり買い物にでかけたりということができず、狭い自宅のなかでずっと過ごしているのは精神的な負担になったようで、長男は怒ったり興奮したりしてもいないタイミングで何度か奇声を発していました…。
私は普段、在宅で仕事をしているので用事がなければ1日家から出ない日もあります。しかし、「自分で自宅から出ないと決めてひきこもる」のと「外に出ることを禁止されて引きこもる」のとは、気持ちが全く違いました。
些細なことでイライラしてしまう、昼夜逆転のようなリズムになってしまうなど、生活に影響が出たように思います。
子どもが時間を持て余してしまう
公園に行く、買い物に行く、外食をするなどしてすごす長期休暇とは異なり、隔離期間はどこにも行くことができません。子どもたちは当然時間を持て余し、結果1日何時間もゲームやテレビとお友達になるという生活を送っていました。
一応、起床時間や食事の時間、1日の過ごし方を決めて「ピアノの練習をする」「ワークを10ページする」「工作や読書をする」といったこともしていましたが、勉強やピアノは1時間もあれば終わってしまいますし、テレビをつけずに過ごすと子どもたちが途中から大喧嘩を始めたりするので、「テレビ見て!」「ゲームしてていいよ」ということになってしまいました。
外に出なければ当然体力もあまり消耗しないので、普段は10時間くらい寝る子どもたちも、8時間、9時間睡眠で元気いっぱいという状況で、1日がとても長く感じました。
生活以外にも生じた問題
隔離生活は生活パターンに大きく影響し、家事などの負担も増えました。こうした生活面へのダメージのほかにも、さまざまな問題が生じたので、ここに記したいと思います。
保育園・幼稚園の生活から遅れを取ってしまう
子どもたちは保育園や幼稚園を半月お休みしたので、生活に遅れを取ってしまいました。特に次男は1月の後半にもコロナで2週間ほど休園になっていたため、「保育園に行かないこと」が当たり前になってしまい、今だに毎朝離れるときに泣いています…。数分経てば立ち直るようですが、毎朝泣かれるのは親にとっても負担になるので、休みが長いのは大変だなと感じました。
長男は幼稚園がとても楽しく、卒園も近いので何も言わずに通っていますが、朝がめっきり弱くなってしまい、小学生と一緒に集団で登園する時間に間に合わず、車で送っていく頻度が増えました。延長保育を利用しているのですが、「早く迎えに来てほしい」といわれることも多くなり、どこかに「できるだけ長く自宅にいたい」という気持ちが残っているようです。
行事に参加できず、思い出づくりができない
保育園、幼稚園をお休みしているあいだにも、園ではさまざまな行事が実施されました。子どもたちは記念撮影や生活発表会などに参加することができず、本人たちよりも親である筆者のほうが心にダメージを受けました。
隔離期間を聞き「発表会に間に合わない」とわかったときは、どう長男に切り出したらよいかわからず、話し出すのにとても迷いました。頑張って練習をしていたこと、何をするか嬉しそうに話してくれたことを思うと胸が苦しくなり涙がこぼれましたが、本人がケロっとしていたのが幸いだったように思います。
体調不良から仕事が進まない
ほぼ症状がなかったとはいえ、体調が思わしくない日が続いていたため、仕事にも支障がでました。体調が回復してからも日中は子どもがいて仕事が全く進まず、しかも隔離期間が終了してすぐに夫が出張に行ってしまったため、夜に遅れた分を少しずつ進めていくしかなく、大変な思いをしました。
この影響もあり、今も昼夜逆転のような生活リズムを引きずっています。朝は子どもたちの準備で起きなければいけないのですが、日中に眠くなり夜中に目がさえるというサイクルから少しずつ解放されてきているので、このまま規則正しい生活を取り戻していきたいです。
濃厚接触者も仕事に行けない
陽性者はもちろん、濃厚接触者も隔離期間は仕事に行くことができません。夫がいてくれて助かった部分も大きいですが、我が家は2人そろって個人事業主なので、夫が仕事に行けない分は、収入にも影響してしまいます。
ただでさえ通常の月よりも2~3日短い2月、私も収入が他の月よりも少ないのに、夫の収入も大幅に減ってしまうので、金銭的なお話で恐縮ですが家計に大きなダメージを与えました。
およそ2週間の隔離生活で感じたこと
2週間と少しのあいだの隔離生活は窮屈なことも多くありましたし、世間から置いて行かれるような感覚もありました。子どもたちはうまく集団生活に戻れるのか、私は生活リズムを元通りにできるのか、不安も多くありました。
しかし、家族4人で長い時間を一緒に過ごすという貴重な経験ができましたし、陽性になったことで自宅療養がどういったものなのかを知り、このように記事執筆に生かせていることを思うと、「無駄な時間」ではなかったと思っています。
田舎である私の地域では特に、コロナへの偏見が大きい部分もあります。私自身も初期はコロナになることを非常に恐れ、陽性になった方に対し「仕方がない」と思いながらもどこかで接触を避けたいという思いを抱いていたように思います。
今回、自身がコロナにかかったことで、コロナが身近に迫っていることを痛感し、またちょっとした症状でもあなどったり、自己判断をしてはいけないということも学べました。
コロナが収束に向かうこと、かからないことがベストですが、もしかかってしまった場合には自治体のサービスなどに頼りながらしっかりと静養していただきたいです。つたないレポートではありますが、私がコロナにかかって感じたことをこの場でお話させていただきました。