かつてドラマの題材にもなった「DMAT(ディーマット)」。
災害現場にいち早く駆けつけ、混乱下の現場で冷静かつ機敏に活動する姿には、あこがれの気持ちを抱く方もいるでしょう。
今回は、実際にDMATが出動した「東日本大震災」とクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の事例紹介、そして「DMATの隊員はふだんどこで仕事をしているの?」「どうやったらDMATになれるの?」といった疑問にもお答えしながら、DMATについて解説します。
活動に興味がある方はもちろん、将来DMATになりたいと考えている方のご参考にもなれば幸いです。
DMAT(災害派遣医療チーム)の活動を2つの事例から学ぶ
DMAT(=Disaster Medical Assistance Teamの頭文字)は、大規模な災害や事故が発生したとき、現場にかけつけて医療活動をおこないます。
その活動は、患者を搬送する“航空機内”や搬送先の“病院内”、そして情報収集や活動を指揮する“DMAT調整本部”と多岐にわたります。
ここでは「東日本大震災」とクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の事例をとおして、DMATの活動内容をみてみましょう。
東日本大震災~航空機による患者搬送
DMAT事務局(厚生労働省)の資料によると、東日本大震災(2011年3月11日発生、マグニチュード9.0・最大震度7)の被災地には、全国から340隊(1500人)のDMATが派遣されました。
宮城県石巻市では災害拠点病院の石巻市立病院が被災しています。
災害拠点病院とは、24時間の緊急対応やヘリコプターによる患者搬送が可能、トリアージタグ(緊急度や重症度に応じて治療の優先順位を決めるためのもの)をそなえているなどの条件を満たしている病院です。
当時、病院には入院患者240名(うち重症者24名)がおり、DMATはトリアージをおこない、ヘリコプターで自衛隊駐屯地を経由しながら患者を被災地外の病院に搬送しています。
また、岩手県では被災をまぬがれた花巻空港がSCU(=広域搬送拠点臨時医療施設)となり、全国各地からDMATが集結、おなじく航空機で患者を搬送したのです。
【参考文献】厚生労働省DMAT事務局「東日本大震災におけるDMAT活動と今後の課題」
ダイヤモンド・プリンセス号~治療法が定かでない感染症への対応
2020年2月横浜港に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」では、コロナウイルス陽性者の発生により乗客船員およそ3700名が船内に隔離されました。
当時はまだこのウイルスに対する理解もうすく、検査・治療方法は確立されていませんでした。テレビでは陽性者の数や患者が搬送される様子が連日大きく報道されたのです。
このとき、厚生労働省は全国のDMATに派遣要請をしました。DMATは、未知のウイルスへの脅威のなか、船内で548件の往診をおこない発熱患者や慢性疾患への初期対応、そしてトリアージにもとづいた769件の搬送活動を展開したのです。
【参考文献】国立病院機構本部DMAT事務局「令和元年度から令和2年度のDMAT活動報告について」
感染症に対する規定が『DMAT活動要領』に追加
ダイヤモンド・プリンセス号での活動は、派遣要請や補償の仕組みなどが通常と異なるものだったといいます。
隊員たちは感染症対応への事前の訓練もないなか、現場での医療活動を展開せざるを得なかったのです。
そのような状況ふまえ、2022年(令和4年)2月8日に改正された『日本DMAT活動要領』には、「新興感染症に係るDMAT活動の位置付け」が追加されました。一部をご紹介します。
新興感染症に関するDMATの活動について(※活動要領より一部抜粋)
2.活動内容
引用:厚生労働省『日本DMAT活動要領』24頁 ※太字は筆者加筆
・DMATは、都道府県の要請に基づき、感染症の専門家とともに都道府県の患者受け入れを調整する機能を有する組織・部門での入院調整や、クラスターが発生した介護施設等の感染制御や業務継続の支援等を行う。
このような基盤がととのえられていることは、とくに過酷な状況下で活動するDMATにとっては不可欠でしょう。
ダイヤモンド・プリンセス号での対応については課題もあるようですが、1人ひとりの隊員が懸命に命と向きあっていたことは想像に難くありません。
DMAT(災害派遣医療チーム)の発足経緯と隊員になる道のり
ここからは、DMATが誕生するキッカケとなった災害と、DMATになるにはどうすればいいのか解説します。
“救える命”を失わないため48時間以内には現場へ
日本でDMATが誕生するきっかけとなったのは阪神淡路大震災(1995年/平成7年1月17日発生、マグニチュード7.3、最大震度7)です。
当時、被災地では病院自体が被災したりライフラインの断絶、トリアージ※への認識不足などが原因で、少なくとも500名の助けられたはずの命が失われたといわれています。※トリアージ:緊急度・重症度によって治療の優先順位を決めること
このときの教訓をもとにDMATは誕生しました。いち早く現場にかけつけ(48時間以内)、消防の緊急消防援助隊とともに救命活動・トリアージにもとづく患者の搬送などをおこなうのです。
DMATの隊員は「DMAT指定医療機関」の職員
DMATは正式名称を「災害派遣医療チーム」といい、隊員は「医師(1人)・看護師(2人)・業務調整員(1人)」の4名が基本とされています。
DMATの隊員になるには、まず「DMAT指定医療機関」の職員であることが必要です。
隊員は平時においては病院内に勤務し、災害発生時の派遣要請をうけて出動します。そのため、派遣体制や活動に必要な装備がそなわっている病院を「DMAT指定医療機関」として、あらかじめ都道府県が指定しているのです(5年ごと更新)。
※「DMAT指定医療機関」は災害拠点病院が望ましいとされています。興味がある方は、こちら(厚生労働省の資料)に一覧表があるので、ご活用ください。
そして、DMATに必要な知識と技術を身につけるため専門の研修(試験)をうけるのですが、それには隊員候補として選抜されなければなりません。病院によっては、選抜の基準(救命センターや出術室での勤務経験など)をもうけていることもあるようです。
その後、厚生労働省または都道府県が実施する研修をうけ試験に合格することで、DMATの隊員になれるのです。
「日本DMAT」と「都道府県DMAT」
日本には、厚生労働省の管轄下にある「日本DMAT」と、各都道府県のもとにある「都道府県DMAT」の2種類があります。
主な違いはその活動範囲です。「日本DMAT」は全国各地、「都道府県DMAT」は基本的にその地域内での活動になります。
両方のDMATに所属することも可能ですが、それぞれに研修をうける必要があります。
ちなみに、日本初のDMATは「東京DMAT」で2004年(平成16年)8月に誕生しています。そして、その翌年2005年(平成17年)4月に「日本DMAT」が発足しています。
『きっと助けてくれる』を受けとめるDMAT
DMATが派遣されるほどの災害や事故に遭遇することは、想像すらしたくないでしょう。
しかし、毎年のようにあらゆる災害が発生する日本において、それは決して他人事ではないのもまた事実です。
筆者は東日本大震災において「助けにきてくれる」という想いが精神的な支えとなり、生きる力にもつながることを実感しました。
DMATは災害や事故といった過酷な現場にいち早く駆けつけ、消防や警察とともにわたしたちの命を救うために活動します。
本記事を通じて、将来DMATを目指す方へエールをおくるとともに、1人でも多くの方がDMATの存在と活動を知り、それを胸に留めていただけると幸いです。
【参考文献】
*厚生労働省DMAT事務局「DMATとは」
*JICA【阪神・淡路大震災から25年】受け継がれる災害医療支援のノウハウ:海外から国内へ、日本から世界へーー災害派遣医療チーム(DMAT)の誕生(前編)
*内閣府防災情報のページ「阪神・淡路大震災教訓情報資料集【02】被災地医療機関」
*災害医療大学【令和の大改正】具体的にDMAT活動要綱はどのように変わったのか?【DMAT活動要綱全文掲載】
*レバウェル看護「DMATの看護師になるには…資格や役割、給料について解説」
(以上)