「てんでんこ」とは何か?共倒れせずに未来へ命をつなぐための言葉 

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てんでんことは「てんでん」の方言で「それぞれ、各自」を意味する

『兄弟でも性格は、てんでばらばらだなあ』という言い方の意味をご存知でしょうか?

「てんで(ん)」は、「それぞれ・おのおの・各自」という意味で、『兄弟でも性格は、それぞれ違うもんだなあ」という感じです。 

「てんで(ん)」の方言が「てんでんこ」です。

語尾「こ」がつくのは、東北地方の方言にみられるかたちで、「おちゃっこ(お茶)」や「べご(牛)っこ」といったものがあります。

この言葉は、三陸地方と呼ばれる青森県・岩手県・宮城県の沿岸部において、主に使われてきました。

1990年に防災標語として生まれた言葉「津波てんでんこ」

この三陸地方は幾度も津波の被害にあってきた地域です。

そのひとつ、岩手県下閉伊郡田老町(現・宮古市)。ここで1990年に「第1回全国沿岸市町村津波サミット」がおこなわれました。

津波災害史研究家の山下文男氏たちパネリストが、ディスカッションをおこない、そのなかで「津波てんでんこ」という防災標語がうまれたのです。

「津波てんでんこ」とは、「津波がおきたら、他の人のことは気にせず、それぞれで逃げろ」という意味です。

とくに、2011年3月11日の東日本大震災以降、「津波てんでんこ」という言葉がメディアなどで取り上げられるようになりました。

では「津波てんでんこ」という防災標語がうまれるに至った背景をみてきます。

約60年のあいだに3度の大津波に襲われてきた三陸地方

青森県、岩手県、宮城県の沿岸部である三陸地方は、常に津波に襲われてきた所として知られています。明治、昭和の時代だけでも約60年のあいだに、3度の大津波にあっているのです。

【参考文献】報告書(1896明治三陸地震津波):防災情報のページ-内閣府

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1896_meiji_sanriku_jishintsunami/index.html

2万2千人の命が犠牲になった明治三陸地震(1896年)

明治29(1896)年6月15日(旧暦5月5日)19時32分、岩手県上閉郡(かみへいぐん)釜石町(現・釜石市)の東方沖を震源として、マグニチュード8.2の地震が発生。端午の節句をお祝いする日に発生した地震、これが明治三陸地震です。

流出、全半壊の家屋が1万戸以上、約2万2千人の命が犠牲となった、津波災害史上最大の被害でした。

地震の震度は最大で4(秋田県仙北郡)でしたが、地震発生から約30分後に津波の第一波が到達したのです。その範囲は、北海道から宮城県にわたったといいます。

【参考文献】明治三陸地震 ‐ Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%B8%89%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87

明治三陸地震から37年後に発生した昭和三陸地震(1933年)

明治三陸地震から37年後の昭和8年(1933年) 、桃の節句3月3日の午前2時30分、「昭和三陸地震」が発生しました。

明治三陸地震と同じ東方沖を震源地とし、マグニチュード8.1、最大震度5(岩手県宮古市)を記録。このときも津波の第一波が約30分後に到達しています。

 【参考文献】昭和三陸地震 – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B8%89%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87

  昭和三陸地震から27年後に発生したチリ地震(1960年) 

 昭和三陸地震から27年後の昭和35年(1960年)、5月24日午前4時30分、三陸地方沿岸部は、地震がおきていないにもかかわらず、突然おおきな津波におそわれました。南米チリでマグニチュード9.5の地震が発生し、およそ一晩かけて日本にまで津波が到達したのです。

「津波てんでんこ」は自分勝手な考え方なのか? 

みなさんは「津波がきたら家族のことはかまわず、自分の命を守るため、それぞれで逃げろ」と言われたら、どう思いますか?この言葉の意味が「津波てんでんこ」なのです。

共倒れをさけるための言葉「津波のときはてんでんこ

「自分だけが逃げるなんて薄情な考え」「大変なときこそ助け合うべきだ」など、さまざまな感情がわくかもしれませんね。

実際、「津波てんでんこ」という言葉について、7割程の人が「薄情」「自己中心的」と感じたとする調査結果もあります。

しかし、過去の大津波を経験した地域の住民たちは、家族を助けに戻ったがために共倒れになってしまったという悲劇を知っているのです。

その事実を教訓として、住民たちは「てんでんこ」という言葉をもちいて、津波から命を守る術を語りついできたのです。

さきほどの「第1回全国沿岸市町村津波サミット」において、山下文男氏が語ったエピソードからも、それを知ることができます。

昭和三陸地震による津波のとき、山下文男氏の父は文男を連れて逃げず、自分だけ逃げたといいます。山下文男氏の母にたしなめられた父は「なに、てんでんこだ」と話したというのです。山下文男氏のまわりには、ほかにも同じ経験をした友人たちがいました。

津波から命を守る術として、「てんでんこに」つまり「めいめい、それぞれに」逃げることが大切だ、という教えが根付いていたのです。

【参考文献】

東洋大学【メディア掲載:毎日新聞】「てんでんこ」7割知らず

https://www.toyo.ac.jp/site/sce/114561.html

「津波てんでんこ」の4つの意味

https://jsnds.org/ssk/ssk_31_1_35.pdf

「津波てんでんこ」がもつ4つの意味

京都大学の矢守克也氏は、「津波てんでんこ」を4つの意味で再解釈しました。

1.自助原理の強調=自分の命は自分で守る

自助の精神を伝えている「津波てんでんこ」の最初の意味が、この自分の命が自分で守る、ということでしょう。しかし、2011年東日本大震災では「津波てんでんこ」を理解していても、助けを求める人をほおってはおけなかった、という人もいます。

「津波てんでんこ」には、「われ先に逃げる」という一つの意味だけではないことを、山下文男氏も伝えています。矢守克也氏は、この点もふまえて「津波てんでんこ」の意味をさらに3つの解釈へとつなげています。

2.他社避難の促進=自分のためだけではない

東日本大震災では、必死に避難する小中学生の姿をみて住民たちも避難しはじめた、ということがありました。

また、岩手県釜石市で防災教育をおこなってきた片田敏孝氏(現・東京大学)は、「率先避難者たれ」として、まず自分が避難することの重要性を説いています。

3.相互信頼の事前醸成

津波がきたら「各自が自分の命を守る行動をとっている」と信じてこそ、自分も安心して避難することができるでしょう。

そのためには、大きな災害がおきる前から、家族で避難先について話し合っておくことが大切なのです。

4.生存者の自責感の軽減

「てんでんこ」を信じて自分は逃げたけれども、家族は命をおとしてしまったということもあるでしょう。大切な人が亡くなったときに、「もしあのとき・・・していたら」という思いが生まれるのは、当然のことといえるかもしれません。

「自分だけが逃げてしまった」という思いも湧くでしょう。このとき「津波てんでんこ」が共通の認識としてあれば、亡くなった家族も共倒れになることは決して望んでいなかった、と少しは思えるのではないでしょうか?

【参考文献】「津波てんでんこ」の4つの意味 

https://jsnds.org/ssk/ssk_31_1_35.pdf

まとめ

「それぞれに・各自で」を意味する「てんでんこ」。いくども津波の被害にあってきた地域では「津波てんでんこ」という言葉がうまれ、時代をこえて人々に受け継がれてきました。 

東日本大震災から今年で10年目をむかえました。このあいだも日本各地で地震が発生し、豪雨や噴火といった自然災害による被害が発生しています。人間は自然災害に対して何もできないのではなく、備えることができます。

自分そして大切な人の命を災害の犠牲にしないために、いま私たちができることをはじめましょう。津波がくるとわかったとき、あなたはどこに逃げますか…

※自力で逃げることのできない高齢者などの避難については、つぎの機会にお伝えします。

備えておこう!おすすめの防災グッズ

これから用意しようと思っている方におすすめなのが「Defend Future」の防災士が監修した防災グッズ。自分でリュックに詰められるようになっていたり、簡単に手に入りやすい紙皿などは除いているなど、個人が防災にきちんと向き合えるようになっています。

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この記事を書いた人

東北出身&在住フリーライター。
広告代理店・NPO・行政で勤務後、在宅ワーカーに転身。
妊娠中に東日本大震災に遭い、津波から避難・仮設住宅で子育てをする。
本サイトでは「命を守るために知っておきたいこと」「日常に潜むリスクへの備え」などについて発信します。
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